冬超え

ついに桜咲く春も終わりを迎えそうな時期です。おかげで駄文作りに励めます。

昔の細野晴臣の思い出を書き連ねましょう。


中学生の頃に、インターネットのおかげで細野晴臣を聞き始めました。確か誰かが影響を受けたアーティストとして聴くようになったというのを見て聞いてみるきっかけになったんだと思います。
同時に、その頃の友達2人が細野晴臣が好きだったという事もあり話題も出てきたり。

消えかかる 街の灯かり
星屑と雨が 降れば
終りの灯 流れて海へ戻る
冬越えさ 季節の変り目さ
クシャミを ひとつ

自分の幼少期を過ごした街は絶賛住宅地で何もありません。
電車も通ってないし、自転車で30分~40分くらい掛けて駅までは行けるくらいの中途半端な位置です。

じいちゃんちに行けば、冬にはかまくらが作れるほど雪はありましたが本当に”地球温暖化”が進んでいるのかそんな積もるほどの雪はその田舎ですらここ10年も見ていません。内心は、この10年という地球の時間軸の中で数千年の間の小さな時間軸の一片を切り取っただけでそう言えるのかよ?と思っているので、そんな過激なほどに思っている訳ではありません。

季節の変わり目というのは、小さな頃ほど何も思うことが無くなりそれほど自分のなかの遊び心が無くなっているのかなあと悲しくなるときがあります。でも、夏のプールは僕がカナヅチで泳げなくて嫌いなので変わりがないと思うのは良いことなのかもしれません。

小さな山に行って、昆虫採取したり謎のきのこを拾ってきたり、カナヘビを飼ってみたりそんな童心に帰るような事自体がどんどん減ってしまっているなあと感じることも、ゲームばっかりしていたり、PCで調べて作ったゴミ袋いっぱいに折り紙があったり。
後者は今のパソコンいじりに繋がるところがあるのでそういう意味では童心に帰るときは完全に無いとは言えないのかもしれません。

曇空、落ちそうな
気になる 街の灯かり
大事な時を知らせる
カラスやニワトリ コケコッコー
冬越えさ 季節の変り目さ
クシャミを ひとつ
話す事は 多いけど
ただ クシャミを ひとつ

近くの公園で十字オニをして遊んで、17時の街の鐘が鳴り公園にコウモリが飛び始めた頃に帰る。
小学2年生まで過ごしたのはそんな思い出があるので、よく考えればあの住宅地なりの豊かさだったんだろうなと感じます。
その後はもっと駅に近い住宅地(とは言えどそれでも駅まで自転車で30分くらい)に引っ越したので、コウモリが出ることも無かったし、近くの山なんてありませんでした。唯一、開発地帯の山を切り崩そうとしてるところだとか帰り道の裏道、近道でエロ本が落ちていたりする場所にはそれなりのワクワク感がありました。そこで結局骨折して、学校で自分も友達も一緒に大激怒されたんですがね。

来ては去る 人の影
行き交う お茶と情け
ひとさじの ザラメ
紅茶と 人の絆
冬越えさ 季節の変り目さ
クシャミを ひとつ
話す事は 多いけど ただ
クシャミを ひとつ

そんな友達もみんな居なくなり、また引っ越しをしてしまったのでまたリセット。
人との出会いはその別れも共にする訳で。

去年に高校生の時に行ってお店で細野晴臣を流していた東京にある喫茶店に、久しぶりに行ったらまだ覚えていて頂けました。私が写真の展示もさせて頂いた場所で思い出の場所です。こんな人間になっているのが申し訳ないんですが・・・。

当時、もろに”ライ麦畑でつかまえて”に影響されて長期期間の休みにフラフラしていたのでそのタイミングも相まって全く聞いた事が無かった細野晴臣のアルバムのHoSoNoVaが流れていました。そこで流れていたのが”ウォーカーズ・ブルース”で今もずっと聞いています。本当は、このブログタイトルも”ウォーカーズ・ブルース”にしようと思ったのですが、ちょっと洒落過ぎるし、今はウォーカーズしていないし。ちょうどたまたま”冬超え”が聞きたくなったから、そのまま冬超えにしただけで”洒落”つけたくなって”ウォーカーズ”していたらブログタイトルにするかもしれないし、一生”洒落”つけないかもしれないし、”ウォーカーズ”もしないかもしれない。

人生の起点と言えば、その自分を認めてくれた初めての場所だったから記憶に強く今も残っていますしその後仙台でいろんなお店に行ってみるきっかけでもあったのでとても感謝しています。

そして、再度引きこもりになっているんですが。というか人から学べることもたくさんあり、本当に感謝しているのですが元々引きこもりだったときの学習が一人じゃないとどうしても出来ないこともたくさんあるのでしばらく一人で過ごしてまたフラフラして楽しいとこを探して行けたらいいなぁと思う次第です。

そんな、冒頭にあった細野晴臣好きだった友達に去年再度あったら気づいたら鬱病になっちゃったみたいで。あーでもないこーでもない言いながら結局お酒飲みながら、ずっと煙草吸ってだらだら過ごしちゃいました。
”自分が一番自分の事を理解出来ていない”とつくづく思いますが、それで鬱になりやすい要因なのかなとも思ったり。それも何となく人とコミュニケーション取っていれば、外から見た自分の印象のイメージが何かしらで得れる手段になりますがそうでなければずっと自分の中の考えのブラックホールに陥ってしまいます。

そういう意味でも、こういうブログで文字に起こして自分が何を思っていたのか、そして客観的にどんな雰囲気を感じ取れるかが少し分かるところがあるのでこのサイト自体が自分を支えている部分も一部ではあるのかもしれません。もしかしたら明日で飽きるかもしれないので書けるうちに書いておくのです。

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