IBMerよ、野鴨たれ!

8 min read

こんにちは、無能です。
恐ろしいほどな雑文である。
と言うのも、日記は高校生のときに日記を書いていたのもありその癖が一部では残っているんだろう。人の黒歴史なコトを眺めているのは楽しいし、その提供もする側でもありたいとそうでありたいと思うのですが皆さんはいかがですか?
自分のことは自分が一番分からないというのは皆同じであり、探りながら自分というものが徐々に確立されるものであると思います。自分が自分のことが一番わかると思うのであれば、それはうぬぼれの病を疑い八百万の神に聞いてみるしかないかもしれません。とりあえず、日本の歴史の神道からすれば
「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」 と、言う言葉があるらしい・・・。

というか、日本の感謝・謙虚な姿勢だとかは神道由来な気がします。どこに居ても神がいるから、悪く言えば全てが監視されている意識がある監視社会とも言われることではありますが、そのおかげでトイレはどこに言ってもきれいだし街も荒れていると言われる街もそれなりにきれいだし、安心して水が飲める。トイレの神様もいるくらいですからね。国家としては現存する世界最古の国ですから、かんたんに悪い文化と言えるものでも無いと思います。

とまあ、宗教の話はあんましないことにしても自分は特に何も信仰していないし、言うならば俺様教かなあ。

自分でサイトを立ち上げている理由

昔から個人ブログを読んでいるのが好きであり、特に人のlivedoorブログを読み潰していたりブックマークに入れたブログを毎日開いたりしていた学生時代だったのでその楽しさがどうしてもあり。
そのときのある意味癖として技術ブログを読む癖がついたり何かしら繋がっているところはあるのかもしれませんが、意識したことが無いのが事実。ただし、かしこまった方々からするとインプット・アウトプットと言われるものになるらしい。
間違ってはいけないと思うのが楽しければやるべきなだけで、ギバーとテイカーがいるようにその書き手と読み手のバランスは成り立っているからこそいいのだと感じています。なんか、ギバー・テイカーがどちらが良いとかって言う話はどうでもよくて、テイカーが居なければギバーが幸福を感じることは無いし、逆もそうであります。
過去にレイ・ダリオのブログでも読んでいましたが、これは今の時代の左派の国々と右派の国々のバランスが取られて維持出来ているというものにも近い、いわゆる黄金の回転だ・・・ジョジョー!!!!!

と、自分でホスティングしていればどこかからとやかく言われることも無いし、日本は世界でもインターネットの検閲が少ない稀な国であるから意識はあまり出ないですが少なくともドメインブロックも、いろんな人が見れるように特定の国のアクセスブロックもしていません。
そうして、ありがたいことにそのおかげもあってか日本以外で15カ国くらいの方からアクセスがある今です。

Qiitaだとある程度の技術記事のラインがあるようだし、もしそれで規定ラインを超えていないと判断されて自分が気分を損ねるならば幼少期に見た公園の遊具に書かれたラクガキレベルで書けるような居場所はあってもいいと思うのです。
人間、居場所があると寿命が伸びると言われているらしいしそういうものは大事だなあとつくづく感じます。
いつだって、Libroを聞いて懐かしさと感じていたいし、気づいたら忘れているかもしれないし・・・。

今思ったんですが、「遠いチベット そんな話題も大いに結構」の部分って当時の「チベタン・フリーダム」の流れがあったからこの歌詞入ってるんでしょうか?

離れるときはいつでも大変

さて、絶賛に退職のお話中なのですが退職日の話が既にお伝えはしたけれど、面談時の話が継続の話に気付いたらなっていて困っている最中です。
そうして、何故か上の役職の方と来週面談する事になりましたが、最初の話はとりあえず直接お話して伝えるという精神持ちでお伝えは出来たし、性格は悪いですが法的に証跡は残るテキストベースでも送っておかないといずれ自分以外も困る結果になりそうなのでそれは今日にも行おうと思っています。
これに関しては、今までアルバイトも引っ越したあとにも続けたりして移動大変になって辞めること伝えても気付いたらずるずるいたこともあるのでその時を思い出して区切りをつけないとなあ…と。

というのも、過去に自分が面接をやる側でもあり人が離れる経験もしていたし離れる側の人間でもあったからそこは難しいところです。
一般的に直属の上司に伝えないと、その管理体制を問われてしまうのでその人の責任となってしまうこともあり直属の上司のあとに一番経営に近い方と話して意向は伝えたほうが直属の上司の責任に問われることは難しいでしょう。何にしろ自分はまだ家庭とかがある訳でも無いけれど、相手は家庭があります。

割とこの手の話であまりにも人間味が無さすぎる話題が多いので、自分的な話をするとある程度の人間らしさ的なところは決して捨ててはいけないと思いますが一度限りの人生です。
自分には自分の人生があるし、一度過ぎた時間は取り戻せません。自分は常に楽しく生きていきたいと思っているしその場のグルーヴが出来上がれば良いなと思います。って、アレ飲み屋の話ですか?電気グルーヴの話?

あんまり意識は無いですが、今の所の先輩から「俺さんがずっと出社しているし、コミュニケーションが増えたし俺さんが入ってからの今がチームとして動いている感じがする」とも言われたのもあるので少なくとも良いグルーヴは作れたかなあ、と思えて良かったです。
無能なりにはなんとかやったかなあ…。    いつでもお仕事は楽しいものではある。例えば自分は趣味で楽しそうにしている人たちは自然と魅力的に感じるしそういう人が好きで、自然と気に入ってくれたら周りもついてきて貰えるものじゃないかなあ、と思います。そうして、過去ブログを読んでいたりした身から自分もそうであるものを提供したいと思うし、これからあるのは未来のみなのでワクワクすることを考えて居たほうがより良いはずです。

野鴨たれ、家鴨(アヒル)になるな

誰だって話してみないとわからないし、話す前から何かしらの固定概念は捨てるべきだと思っています。
例えば自分が対する方で、いくら厳しい人間でもその人が形成されていった過程の話を聞いていけば何が起因だったのかその方なりの生活の原則があるかもしれません。そこから学べるものも多くあると思います。
私の大好きなIBMの野鴨の精神として
野鴨たれ、家鴨(アヒル)になるな
とある通り、飼いならされた野鴨は太りその飛ぶ能力を失った飼鴨のことを指しています。
企業としては家鴨であったほうが良いかもしれませんが、その企業としてこの原則として語り継がれているというのが面白い点です。

難しいのはいずれもメリット・デメリットがあり、今強いリバタリアニズムだとかの自由にも自由という制限が課されることでありその責任はどこに当てられるでしょうか?自由はいずれかの制限となり、またそうしてまた新たな自由思想が生まれているのを歴史上繰り返しています。
表裏一体、陰と陽だとか破壊と創造だとか。でもいつだって痛みは伴うものです。
人間の創造性は制限されるとより創造性を増す、だとかも言われますから一概に自由で有るべきとも言えないのかなあと思うし自分もそう感じます。とは言っても人それぞれの考えも違うので、人なりに合わせて行動するのがベストなのですが冒頭の自分のことは自分が一番分からないに帰着するので自分を理解するということはより大事なことだと思います。

自分をより理解するには

一番言語化するのが難しい問題だと思います。
例えば自分においては

  • 自分の生活サイクルを理解する
  • 好きなものの探求
  • 自分の幸福だと感じることを見つける
  • 居場所と言える場所を見つける
  • 友人と会話する
  • 初めて会う人と積極的に会話する

とかに当たるんでしょうか。
結局全て繋がっているものだと思います。
"好きなものの探求"としている理由は、嫌いなものはそもそも認識するべきじゃないし作るべきものでもないと思うので嫌いなものはここには含みません。嫌いなものを認識してしまうということは、それだけ自分の世界を狭める強い障壁になってしまいます。
だいたい自分の嫌い!としているのはネタなので全く本心で思っていません。

友人として会話するのも第三者から見て、どういう人間かを教えてくれる手段だし初対面と会話してもまた会話してくれそうな雰囲気であれば、友好的な人間だと思われているのかなあ、だとか認識出来ます。
"自分の生活サイクルを理解する"に関しても無理に生活リズムを変える必要もないと思います。自分は一日一食生活をしていた期間もあるし、睡眠時間に関しても寝たいと思ったときに寝て、寝れないときには無理に寝ようとしても自分を苦しめるだけなので気分転換なりして寝たほうが精神衛生上も良いかなあと感じてます。

だいたいのことは冗談っぽく生きたほうが気楽だし、オカルト的に言えばこの世はすでにサンドボックス化された全て0と1で構成された世界だけなのかもしれない、冗談みたいな世界が本当だったりしたら笑いものです。
そうして、また別の世界線の人間が俯瞰して笑って見ているかもしれない。もしかしたら、サードインパクトが起きたあとの世界かもしれません。

「そう、全てシンジくん、あなたがやったの」

「行きなさい、シンジくん!」

「綾波ぃいいいいいいい!!!!」

ちなみに自分はアスカ派です。
それでは。またよろしくおねがいします。