自分のウェブサイトというものは、引きこもりの延長線上でしかない

3 min read

こんにちは、無能です。

オチも無い話を落としておきます。

自分のウェブサイトって、完全自分だけの自慰空間でしか無いので自分の部屋に引きこもっているようなそんな気持ちになります。
そして自宅のサーバーからホスティングしている訳ですから、パソコンの中に小さな部屋を持っているような気持ちです。

ということは、引きこもりだった昔から変われていないのでは?というのは、一部ではそうであり、そうではありません。

少なくとも外の世界に触れて、ちゃんと朝日を浴びて生きる生活の幸福度はお金等では手に入らない幸福さです。”退屈はよりよいこと”だと最近しみじみ思うことが多くあります。朝にコーヒーを飲んで朝日を浴びるのは良いものです。(とは言えど、Mなのか無理やりやることを作って退屈な時間が気づいたらありません(´・ω・`))
退屈さの幸福は、ジム・ジャームッシュの”コーヒー&シガレット”や"ストレンジャーザンパラダイス"に似たようなものかもしれません。

別に高価なコーヒーを飲みたい訳でもなく。

UNIXという考え方”の中にあった、”80%(だったか90%だったか)のソフトウェアかコードはおおよそゴミだ”というように別に人生もおおよその価値は無くても残りの価値ある10~20%があるのならば、それだけでも生きている価値ってあるんじゃないでしょうか。

夢は、のんびり過ごすことですが気づいたらなにかやっちゃっているこの性格どうにかなりませんかね。本当にやらなければいけないこと放ってばかりなのですが・・・。

ウィリアム・ブレイクの"無心の歌、有心の歌"の中にある詩のように何気ない日常の中から楽しさを見つけて過ごせていけたらなあ、と思うのですが強欲なのでなかなか難しいところ。高校の時に安いと思って買い漁った本がたくさんあるのに、途中で読んで投げ出したり積み本になったりそんなのばっかり。

たくさん集めた収集品は、死ぬまでの間にずっと引きこもっても楽しみきれないくらいのものばかりにしたいけど、引っ越しごとに地獄をみるのでその点は最近になって要検討だなと思ったのですがどうしても本とかレコードは大半が別に高値で売れる訳ではないし、扱いを丁寧にしないといけないので発送が面倒です。

少しづつ、昔自分が眺めて楽しませてくれていたようなウェブサイトになっているのか不安になるときもありますが所詮は無能が書いている駄文です。こんなの読んでいてもただの時間の無駄です。
人の時間の無駄を作るのが私の趣味です。

もうジオシティーズも、ヤフーブログも無いんですよ、そして気づいたら検索エンジンで上に陣取っていたNEVERまとめも消えていました。小学生、中学生頃に見ていた自作PC系は結構ヤフーブログ多かったのでかなしい。

それはそうと、うごくメモ帳アーカイブなるものがあるらしい。
https://archive.sudomemo.net/ja/